数百年にわたる歴史

2011年6月、シャトー・ラトゥール(ポイヤック)およびドメーヌ・ドゥジェニー(ヴォーヌ・ロマネ)のオーナーであるフランソワ・ピノーが、シャトー・グリエの所有権を取得しました。現在シャトー・グリエは、上記2ワイナリーの総支配人であるフレデリック・アンジュレによって統括管理されています。何世代にもわたり、絶類の秀逸テロワールに注がれた人々の熱意と献身的努力。シャトー・グリエには実に奥深い歴史が息づいています。

コンドリュー地区およびシャトー・グリエのブドウ畑は、紀元後3世紀、皇帝プロブスのもと、ダルマチアからもたらされたブドウ樹を用いて植樹が行なわれたと伝えられています。サン・ロマン・アン・ガル村(ドメーヌから10数キロメートルに位置)の古代遺跡に残る数多くのモザイクには歴史の源流を読み取ることが出来、一部にはブドウ収穫や破砕作業の様子が描かれています。パクス・ロマーナの時代、アロブロゲス族は、ヴィエンヌ市の対岸、ローヌ河右岸の一部に領土を広げ、ローマの市民権とブドウ樹の植樹権を取得します。この地域におけるブドウ栽培の初期発展は、恐らくこの時代に遡ると考えられています。

中世の時代、運搬行路上の各都市で課せられる高額の税は、ローヌ渓谷産ワインを北フランス地域へ流通させる上での大きな足かせとなっていました。17世紀になると、ロワール河を利用してパリを目指す水運が発達し、ローヌ渓谷産ワイン取引の発展につながります。シャトー・グリエに小さな邸宅が建てられるのもちょうどこの時代です。邸宅はその後、代々の所有者らによって増築されています。この時代から既にシャトー・グリエは多数著名人の食卓やワインセラーを飾っています。その一例として、1787年にはトーマス・ジェファーソンの訪問を受けており、また、ナポレオン1世の最初の妻ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ皇后の邸宅、シャトー・ド・マルメゾンの1814年時のワインセラー在庫帳には、最上級クリュの数々に混じって、「シャトー・グリエ296本、価格592フラン」との記載が確認出来ます。1829年、ジェームス・クリスティは、イングランド王ジョージ4世に納入するためのワインをシャトー・グリエから購入しています。この当時から当ドメーヌのワインの名声は高く、エルミタージュやコート・ロティのクリュを凌ぐほどの価格で取引されています。

幾度となく相続が繰り返される中でも、1827年から2011年までドメーヌの所有権は常にネイレ=ガシェ一族にありました。長く壮大なドメーヌの歴史において、特に記念すべき日付が1936年12月11日。当時ドメーヌのオーナーであったアンリ・ガシェが尽力したAOC(原産地呼称)承認申請が公式に受理され、フランス共和国の官報に発表された日です。こうして、フランス初のアペラシオンのひとつとして、また、その中でも最小規模のアペラシオンとして、シャトー・グリエの名前が加わりました。特筆すべきは、AOCシャトー・グリエは同時にたった一軒のドメーヌで成り立っているという事実です。このテロワールと、そこから生まれるワインの秀逸性が認められた形です。ドメーヌのワインは、ヴィエンヌ市の『ラ・ピラミッド・ド・フェルナン・ポワン』をはじめとする、フランス国内一流レストランの数々で扱われています。フェルナン・ポワン氏はフランス料理界の真のパイオニアで、ミシュラン・ガイドの三ツ星を初めて獲得した人物です。シャトー・グリエの魅力を献身的に広めるワインの伝道師として、シェフ・ポワン氏とオーナー・ガシェ氏の間では、実に中身の濃い、風味の詰まった書簡が交わされており、そこにはポワン氏にとって、どれだけ自らの料理とともにシャトー・グリエのワインを味わってもらうことが重要であったかが熱く語られています。

時期を同じくして、フランス料理批評家モーリス=エドモン・サイヤン、通称キュルノンスキー(1872年〜1956年)は、かの有名な著作『Quinte des grands vins blancs de France(フランスの白グラン・ヴァン第5選)』の中で、モンラッシェ、クーレ・ド・セラン、シャトー・イケム、シャトー・シャロンとともにシャトー・グリエを取り上げています。「食通のプリンス」との異名を取ったキュルノンスキーは、シャトー・グリエを「偉大なる主君」と常々表現しています。

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